今朝のウォーキング中
前を歩いていた女の子がまあ可愛くて。
たぶん小学2年生くらいかな。
髪の毛が、もう見事に編み込まれててリボン付き。
さらに
いちごのついたゴムまで使っていて完ぺき。
思わず
「きっとお母さんが朝から頑張って編んであげたんだろうな」
って思うと、心がほっこり。
なんて思ってたら、ある記憶がふと浮かびました。
昔、職場の同僚
(子育て中のママ)が言ってたんです。
「小学生くらいまでの女の子が髪の毛をきちんとまとめてないと、親がちゃんとしてない感じしない?」
って。
わかる。わかるんだけど。
でも、私
小さい頃から髪を縛るのが大嫌いだったんです。
母ががんばって結んでくれるたびに、いつも我慢してた。
ある時、「もういや!」って爆発して。
その後は、適宜ヘアバンドをするように言われて
なんとか「ひらひらヘア」を確保。
やっと落ち着いたかと思いきや
あのヘアバンド、頭を締め付けられる感じがして
今でもかなり苦手。
で、最終的にはゴムを
びよーーーんって限界まで伸ばして使ってました。
あれ、もはやただの布だったよね?
妹に至っては
縛る時は黙って受け入れるけど
数時間後にはセルフ開放。
残されたのは、ゴム跡がついたザンバラ髪。
母には「みっともない!」と叱られてたけど
本人はご機嫌。
…姉妹そろって自由奔放ヘア。
でも、当時も思ってたんです。
風にひらひらなびく髪って
なんかいいなあって。
なんというか、女っぽくて
ちょっとかっこいい気がしちゃう。
その時の自分にとって
あれが一番心地よかったし
今も「ひらひら派」です。
もちろん、TPOってあるから
給食とか体育の時は結ぶべき時もある。
実際、昔温泉で
小さな女の子が髪の毛をプカプカさせて
湯舟に入ってるのを見て
高齢の女性が
「お嬢ちゃん、髪の毛をしばってから入りなさいね」
って言っていたことがありました。
人に不快感を与える場面では「縛る」ことも必要。
でもそれ以外のときって
本当に縛らなきゃいけないのかな?って。
そういえば、ずいぶん前だけど
同僚(同年代の女性)
がこんなことを言ってたんです。
「50代でロングヘアって、ちょっとどうかと思わない?」
うーん。
今やロングヘアの50代なんて当たり前。
むしろ「おばちゃんパーマ」のほうがレアです。
私のいた公務員の職場は
昔から働く女性が多くて
私が就職した30年ほど前でも
ロングヘアの人はちらほらいたけど
当時はまだ
「女の人がキレイでいるのは浮いて見える」
ような空気もありました。
だから、私たち世代って
「この歳でこの髪型って…」
とか
「若作りって思われたら嫌だな…」とか
なんか妙に
髪型にすら
こうあるべき?に縛られがちなんですよね。
それに、「女はこうあるべき」ってやつ
実はけっこう根深い。
うちの父なんて、昭和の頑固親父そのもので。
ミニスカート禁止、ピアスなんてもってのほか。
私は、実はピアスを4つ開けてるんですけど
絶対に父親には言えませんでした。
バレたらほんと、ちゃぶ台返し?なレベル。
そんなふうに、子どもの頃からずっと
「女なんだからこうしなさい」
って空気の中で育ってきたんだなぁと
今になってしみじみ思いだしました。
で、肝心の今の私はというと…
正直、いまだに
「その服、ちとイタイかな」とか
「髪、切った方がいいかな」
とか気になるけど
でも一方で
「いや、私が心地よければそれでいいじゃん」
と思ってます。
少しずつ、縛りをほどいてる感じ。
私たち50代って、まさに
「こうあるべき」と
「え、それちょっとおかしくない?
もっと自由にいきたいんだけど」
その間で
ゆらゆらしてる世代だな〜って思うんです。
それって、髪型だけじゃなくて
服とか、働き方とか
人生の選び方とかもぜんぶ。
気づかないうちに
「見えない縛り」であれこれ
ギューーッ!とまとめちゃってて。
しかもついでに
自分の気持ちまで縛ってたりするんですよね。
それ、もったいないよなぁって。
だからこれからは
今まで積み重ねてきた
「見えない縛り」から
少しずつでも
ゆるめていけたらいいなと思ってます。
縛られるんじゃなくて
自分が心地いいと思えるほう
自由なほうを選ぶ。
なんか
そういう選択ができる
年齢に来たんじゃないかな、ふふ。
自分の「心地よさ」
ちゃんと大事にして
誰かのためじゃなくて
自分のスタイルで生きてく。
そんな50代、悪くない、うん。
それでは〜。