日本語ネイティブ歴、軽く50年超え
私、日本語ネイティブ歴、軽く50年超え。
ペラペラしゃべってるし
ちょこちょこ文章も書いてきたし
まぁそれなりに
「日本語使いこなしてるでしょ?」
って思ってました。
でも先日
日本語の奥深さにグサッと心を動かされる本
に出会いました。
熊谷高幸さんの
『日本語は映像的である』
グサッときた「こそあど言葉」の世界
心に残ったのが
いわゆる「こそあど言葉」と呼ばれる
「これ・それ・あれ」に宿る
距離感と感情の向きの話。
特に
私の胸に刺さったのは
「あの」という言葉。
気がつけば、私、ずーっと言ってました。
「あの時こうしていれば…」
「あの人が…」 「あの場所に…」
50代、ひとり暮らし。
振り返る時間が増えたせいもあるけど
「あの」の連発はちょっとヤバいな…と
本を読みながら反省モードに突入しました。
「あの時」は、誰かと共有した過去の記憶
本の中で紹介されていた、あるエピソード。
著者である先生に
留学生さんがこう質問したそうです。
「先生はあの時どこに住んでいましたか?」
でもその「あの時」って
先生が大学生だった頃の話。
当然、その留学生さんはまだ生まれていない。
日本語の感覚だと
こういう時は「その時」が正解。
なぜなら「あの時」っていうのは
話し手と聞き手が
一緒に経験した過去の時間にしか使わない言葉
だから。
これ読んで
「日本語ってすごく繊細…!」と、しみじみ。
「あの時」にしがみついてた理由
そこで確信。
私が心の中で
何度も繰り返してた「あの時」って
結局は全部
夫との共有記憶
だったんだなって。
離婚を決めたあの時も
長野から撤退したあの時も
いろんな感情がごちゃまぜになってたけど
どれもこれも
「夫と一緒に経験した時間」
だった。
そして
気づけば私は
その時間にずーっと心を縛られていたんだなって。
言葉が心の向きを決めている…かもしれない
たぶん私たちって
無意識のうちに
「どんな言葉を選ぶか」で
自分の心の向きを決めてるんだと思います。
- 「あの時ああしていれば…」
- 「あの人がもっとこうしてたら…」
こういう言葉を口にしてる時って
気持ちが完全に過去に引っ張られてる証拠。
未来に向かう「言葉選び」にシフトしてみる
もうひとつ
本の中に出てきたエピソードで
印象的だったのがこれ。
ある留学生さんが
数か月後のイベントについて先生に言ったひと言。
「あの日が楽しみですね」
いやいや、それ、日本語ネイティブの私なら
「その日が楽しみですね!」って即答する場面。
未来の話に「あの」は使わない。
この違和感に、すごく納得。
そこから考えたんです。
例えば
- 「これから、どこ行こう?」
- 「その時、何しよう?」
- 「この時を楽しもう!」
こういう言葉って
自分の視線がちゃんと
「今」とか「未来」に向いてる感覚がある。
逆に…。
- 「あれからずっと…」
- 「あの時が原因で…」
こう言い始めた瞬間
空気が一気に
どんよりネガティブモードに突入する。
でも、「これからだ!」って言えば
なんか急にポジティブに聞こてくる。
「それから?それから?どうする?」って言えば
どんどん前に進んでいくイメージがわく。
言葉ひとつで、心の持ちようは変わる
過去が悪いわけじゃない。
むしろ、「あの時」があったから、今の私がいるわけで。
振り返れば、泣いたり怒ったり、笑ったり…
いろ〜んなドラマが詰まってる。
それはそれで、大事な「私だけの思い出」。
でも――。
人生は、これからの「この時」の積み重ね。
これから出会う人。
これから始まる時間。
その時に見える景色。
そして、これからの私。
「あの時」は、ちゃんと胸にしまっておく。
たま〜に取り出して
ちょっぴり泣き笑いしてもいい。
でも
基本はやっぱり
前向きモードの言葉で進行したい。
よし。次の「この時」へ。
一歩踏み出しちゃうもんね!
それでは〜。