お買い物帰りに見た、母の姿
昨日の午後
ちょっとお買い物へ出かけた帰り道。
母と妹が住んでいる
マンションの近くを通りました。
徒歩3分の距離。
だけど、なぜかこう.....
心の距離は
ちょっと遠く感じるときがあるんですよね。
木の陰から見上げると
母がベランダで洗濯物を取り込んでいました。
小さな体で
一生懸命背伸びをして、洗濯物と格闘中。
「お母さ〜ん!」って声かけたら
たぶんニッコリ振り返ってくれたと思うけど
私はなぜか声をかけられなかった。
ただ、静かに、見上げいてました。
「一緒に住もうよ」って言ってほしかった
離婚が現実になりそうだった頃のこと。
妹に、軽~く探りを入れたことがあるんです。
「もしさ、私ひとりになったら、お母さんと3人で暮らすのってアリかな〜?」って。
返ってきたのは
ちょっと苦笑い交じりの一言。
「え〜、でも、お姉ちゃんと住んだら、なんでも頼っちゃうしな〜」
うん、それはそれで分かる。
でもどこかで
「一緒に住みたいね〜」
って言ってほしかった私もいたりして。
このあたりの気持ちは、前にも記事に書いてます。
▶️ [離婚しても、家族と暮らさなかった私。やっぱり、これでよかったと思う]
しっかり姉、やめられません
うちは父がめちゃくちゃ怖かったから
私が気づけば
「女部族の司令塔」みたいなポジション。
常に
「で、お姉ちゃん的にはどう思います?」
みたいな視線が飛んでくる。
母も怖い父も
妹をとても可愛がっていて
彼女は甘えん坊モード。
私は「しっかり者のお姉ちゃん」
として扱われることが多く
自然と、まわりを見て動くクセがついていて
「どうしたらうまくいくかな?」
って改善モードがデフォルト。
それが悪いとは思わないけれど
たまには「Ritaのままでいいよ〜」って
言ってもらいたかったな。
あの4人暮らし、思い出すと辛い
父が亡くなったあとの数年間
母・妹・私そして当時の夫と
4人で暮らしたことがありました。
いろんなことがあったけれど
正直言って
かなりしんどかった記憶です。
「しっかり者の私」が
みんなを幸せにできなった
今でも引きずる罪悪感。
結局その生活は破綻し
母と妹はふたりで暮らすようになりました。
だから今でも思う。
無理にいっしょに暮らすことが、正解じゃない。
私と住んだら
また母も妹も息切れしてしまう。
そして
前夫も辛かったんだろうと、今は思う。
「母と妹はペア」って思っちゃうとき
大人になった今でも
母と妹が自然に寄り添ってるのを見ると
どこかで「ひとりぼっち」だと思ってしまう。
別に壁を感じるとかじゃないんです。
むしろ、私が一歩引いちゃうクセがある。
でも、ずっと思ってたのかもしれない。
「母と妹はペア。私はその外側」って。
頼ってくれる人がいるってうれしい
なんでもかんでも「お姉ちゃんお願い〜」
って、正直キツイこともある。
母と妹の見えないつながりに
切なくなることもある。
でも
私はずっと
母と妹の「守り神」みたいにしてきた。
だから外側から
全体を見守るポジションが
自分にはしっくりくるのかも
と思えてきたんです。
頼られるのが当たり前で
ふと寂しさを感じる瞬間もあるけれど
それでも
誰かに必要とされる場所に
自分がいるっていうのは
やっぱり嬉しいことなんですよね。
それが私の幸せなんだと思う
いつのまにか
求められる「司令塔」としての立ち位置にいた。
しっかりしてる「ふり」じゃなくて
気づいたらそうなってただけ。
たぶん、そういう性分なんだと思う。
人のために動くのは
私のクセであり、強みであり
たぶん、好きなんだね、きっと。
頼られることに
ちょっとずつ誇りを持って
これからも
「しっかり者のお姉ちゃん」
として、自分らしく。
時には気疲れする日もあるけど
それでも私は
私にちゃんと「大丈夫だよ」って言ってあげたい。
それでは〜。