50歳で公務員を退職。人生リスタートして楽しく生きる。

退職後に離婚でどん底 。人生最大のメンタル崩壊から復活 ◆「こうあるべき」を手放し、心地よい50代へ◆ラクして生きると楽しくなる

「本当の自分」って何?弱い私が選んだ「ちょうどいい私」

小学生の私は「すずらん」だった(つもり)

今年の春

ウォーキング中の道ばたで

すずらんが咲いているのを見つけました。

 

小さくて、白くて、儚げで。

そっと存在を感じさせるすずらん

 

ああ、これこれ。

小学生の頃の私は

自分の本当の姿を

こんなふうに感じていたなあ

と思い出しました。

 

当時

「私って、すずらんRitaだよね〜」

と友達に言ったら

返ってきたのは意外なひと言。

 

「ぷっ! Ritaって、ひまわりじゃない?」

 

叔母には「ダリアでしょ!」と言われる始末。

え、なぜ!?

私、もっと繊細で

控えめに咲くタイプのつもりだったのに?

「人から見える自分」と「自分で思ってる自分」のズレ

この頃から私は少しずつ

「自分が思う自分」と「人から見える自分」のズレ

を意識するようになりました。

 

子どもの頃から

「しっかりしてるね」「姉ちゃんっぽい」

そんなふうに言われてきました。

 

たしかに

剣道部のキャプテンもしてたし

よくしゃべるし…

なんなら年下男子から

ラブレターもらったりしてました(笑)

 

でも内側ではずっと

「私って、ほんとはすごく意気地なしなのにな…」

と感じていたんです。

「弱い私」だからこそ、やってきたこと

自分は弱い、意気地がない、すぐ不安になる。

そんなふうに思っていたからこそ

私はたぶん

ちょっとずつでも

「一歩」を踏み出してきたのかもしれない。

 

思い出すのは、公務員になってすぐの時。

配属されたばかりの部署で

右も左もわからずパニックになって

指導してくれた先輩の前で

思わずぽろぽろ涙が出てしまったことがありました。

 

「こんなことで泣くなんて! 自分ダメすぎ!」

 

と落ち込んだ私は

「不安を抱えず、堂々と仕事ができる自分になりたい」

そう思って

早く、的確に業務を覚えようと 

できることを

ちょこちょこやっていた気がします。

 

不安を感じやすいから

なんとか感じないように工夫する。

だからこそ、何かしら動いてきたんだと思います。

「弱いけど、なんとか進みたい」

その気持ちが、私を動かしてくれていたのかな。

 

「本当の自分」は「行動」でできているのかも

よく「本当の自分を知りたい」

って言うけれど

「本当の自分」って

心の奥深くにあるものじゃなくて

自分がどう認識して、どう行動してきたか

でできているんじゃないかな、って思うんです。

 

たとえば

 

私は繊細だから、守ってもらいたい」

→ そう思えば、強い誰かに頼る生き方になる。

「私は弱いから、だから自分に力をつけたい」

→ そう思えば、ゆっくりでも前に進もうとする。


どう思ったか、どう動いたか

その積み重ねが「自分」なんですよね。

 

ずっしりと根を張る、すずらんの私

すずらんに自分を重ねていた私も

「ひまわりみたいだね」って言われて

えぇ〜!?ってなった私も。

 

今なら

「まあ、どっちも私だね」

と素直に思えます。

いろんな自分がいても、いいじゃーん。

 

でも、ひとつ思うのは

私はたぶん

「弱いすずらん

だと思ってたからこそ

倒れないように

気づけば幹を太くしようと行動してきた人

だったんじゃないかな、って。

 

かわいげは皆無だけど

私は

ずっしり根を張る、幹の太いすずらん

しなやかだけど、ちゃんと強い、かも。

繊細なふりして

実はどっしり生き残ってきたタイプ。

 

そんな私が今

自分に対して思うのは、これ。

 

私は弱い

でも、それでもちゃんと前に進める人。

 

うん。

これが、私にはちょうどいい。

そうありたいな、って思います。

 

それでは〜。

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