50歳で公務員を退職。人生リスタートして楽しく生きる。

退職後に離婚でどん底 。人生最大のメンタル崩壊から復活 ◆「こうあるべき」を手放し、心地よい50代へ◆ラクして生きると楽しくなる

ヒヤリ体験から学んだこと。「正しい」だけじゃ、帰れないかもしれないから

外側から見える私

私たちって

ふだん

人の目をけっこう気にして

生きてると思うんです。


「この服、ちょっと若すぎたかな?」

「ちゃんとして見えるかな?」とか。

 

でもそれだけ

見られることを気にしてるのに

車やバイクを運転してる時って

「自分が相手からどう見えているか」

って、案外気にしてないな…って。

でも実は、それって

けっこう危ないことだったりするんですよね。

自分から見える世界がすべて?

「えっ、こんなこと言う人いるの!?」

と驚いた記事がこちら⏬️

kuruma-news.jp

 

「ウインカーを出す意味がわからない」

という投稿に対して

怒りの声が殺到しているという内容です。

 

でも、これも結局

外側から見える自分には意識がなく

「自分の視点からしか見ていない」

ことが問題なんじゃないかな

と、私は感じました。

ヒヤリ体験:見えなかった“私”の存在

なーんて言っても

私も人のことは言えません。

 

私がまだバイクに乗り始めて間もない頃。

大きな工場の前を走行していた時

前の車に続いて走り出した瞬間

対向車線にいた大きなトラックが

その工場に入ろうとして

急に右折してきたんです。

 

どうやら私の存在は

前の車の影にすっぽり隠れて

トラックの運転手さんからは見えていなかった

ようでした。

 

 

「うわ!」

と思った瞬間

ハッ!とした表情の運転手さんと

目が合いました。

でも

大きなトラックですから簡単には止まれず……

私のほうがキッ!

と急ブレーキで止まって、なんとか事なきを得ました。

 

幸い、ぶつからずに済んだけれど

あの瞬間は

ほんとに心臓が止まるかと思いました。

 

もし

タイミングがちょっとでも違ってたら…

今こうしてブログを書いてる私は

いなかったかも。

…なんて考えると、やっぱりゾッとします。

 

それ以来、私は意識してまーす。

  1. 前の車と車間距離を空けること
  2. 対向車から見える位置を走ること(特に右折待ちの車がいる時は右寄りに)
  3. 「私はここにいる!」と伝えるつもりで走ること

小さなことだけど

相手に見える工夫

って、本当に大事だなと思います。

「正しさ」は、生き残って初めて主張できる

右折してきたトラックが悪いんでしょ!

と言うのは簡単。

 

でもそう言えるのは

こうして帰ってこれたからであって

もしあそこで轢かれていたら・・

正しさを主張できるのは、生き残った人だけ

なんです。

動画からの気づき:「3日に1人」命が奪われている現実

最近、こんな動画を観ました。

www.youtube.com

 

この動画の中で紹介されていたのが

衝撃的なデータ。

 

3日に1人、右直事故でライダーが命を落としている

 

という現実。

ということは


3日に1人、誰かが誰かの命を奪っている

 

という、もう一つの事実でもあるんですよね。


バイクは小さい。だから見えない前提で走る

動画の中でこんな言葉がありました。

 

法律上の義務はなくても

右直事故を回避する義務は、ライダーにある

 

バイクって小さいから

人間の目の錯覚として

速度や距離感を

正しくドライバーさんが判断することが

難しいんだそうです。 

 

もちろん、悪いのは無理な右折をした車です。

でも、生きている側にしか

後悔も反省もできないんですよね。

私は、命を奪う側にもなりたくない

正しさじゃなく、結果。

結果だけが、そこに残ります。

 

だから私は

バイクに乗る人間として

バイクで命を落とす人を一人でも減らしたいし

加害者になってしまう人も、減ってほしい。

と強く思いました。

人は間違える。だから、自分も備える

「青信号だった」

「私はルールを守ってた」

それでも事故に巻き込まれる現実がある。

 

だって

相手も自分も、完璧じゃないから。

 

信号を見落とすこともあれば

死角に入ってしまうこともある。

注意が散ってしまうこともある。

だったら

「正しかったのに!」は手放して

「見えてないかも」「間違えるかも」

を前提に運転する方が、ずっと賢い。

自分の命は、自分で守る

その意識を

私はこれからも忘れずにいたいと思っています。

 

今日も無事に、家に帰るために。

そして、誰かの大切な人を

知らずに傷つけてしまわないために。

 

完璧な人なんて、どこにもいなーーい!

誰だって間違えることがある。

 

だからこそ

「私は正しかったのに」

ではなく

「今日もただ、ちゃんと家に帰れるように」

を考えること。

 

それが、私たち自身と

周りの大切な人たちを守る

ちょっとしたきっかけになると思う。

小さな意識の変化が

大きな安心につながったらいいですよね

 

 

今日も、軽やかに、でもちょっと慎重に。

それでは〜。

 

 

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